【工房訪問】伊賀焼窯元 長谷園 大切な宝物の陶土を活かして
Posted by 店長もな on
伊賀焼とは?
伊賀焼の歴史は古く、中世の時代から五位ノ木窯跡(ごいのきこようあと)などで豊かな陶土と薪の燃料の赤松が豊富にあったことから、近隣の信楽焼と同じ鉢や甕、壺などが焼かれていました。その後、茶の湯文化が盛んになる室町時代後期から安土桃山時代には、伊賀国領主 筒井定次や藤堂高虎、高次のお庭焼(おにわやき)として武将で茶人の古田織部などの指導で、土の風合いを活かした水差や花入れなどが作られるようになります。お隣りの信楽焼との違いは「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」という言葉が示す通り、伊賀の作品には持ち手がついています。その時期の焼き物は「古伊賀(こいが)」と呼ばれ、高温で焼かれた際に灰をかぶることで出来る、若草色のガラス質(ビロード釉)などは、伊賀焼の独特の美しさと言われています。また、制作の時に歪みや凹みを加えヘラによる波状の文様や、灰かぶりや黒い焦げ、山割れなど、ある程度作為的に破調の美を生みだしています。
桃山時代文化が終わりを迎える頃には、伊賀焼は一旦作られなくなりますが、江戸時代に藤堂藩の支援もあり、日常使いの雑器の碗や皿、鍋、などを中心に丸柱で再び焼かれ始め、現在の伊賀焼の基礎ができました。
伊賀焼窯元 長谷園(ながたにえん)さんを尋ねました!
天保3年 (1832年)、今から約190年前に丸柱で開窯した長谷園さん。今は8代目 長谷康弘さんが当主として窯を守っています。
本来伊賀は職人しかおらず、信楽や京都になどにいた商人たちにより、''信楽焼''や''京焼''として長い間売られていたのだそうです。今では土鍋といえば同じく三重県の萬古焼(ばんこやき)などとともに人気がある伊賀焼ですが、本当にここ最近になって、''伊賀焼''としての認知度が上がってきたとおっしゃいます。
敷地内はタイムスリップしたかのようなレトロな雰囲気です。

登り窯は、1832年の創業当時から1970年まで実際に使用されてきたもの。国の登録有形文化財に指定されています。16部屋もある大きな登り窯で存在するのは、日本でここだけと言われています。
登り窯は、一年に一回のみ使用。燃料に赤松を使用し、灰かぶりなど面白い景色の器が焼かれ、いつもとはまた違った趣を楽しむことができます。
大正ロマン漂うレトロモダンな佇まいがとっても素敵な大正館。
こちらも母屋や別荘と共に国登録有形文化財に指定されています。
1960年まで事務所として使用されていたそうです。現在は、喫茶や休憩スペースとして利用されています。
►長谷園 窯出し市 5月2~4日
全国から約2万人を超える人出が集まる窯出し市。アウトレットやデッドストックの土鍋などが大特価で販売されたり、食や体験、色々な楽しいイベントが開催されます。
出典: 伊賀市役所 産業振興部 観光戦略課 公式サイトより
さて、今回取り扱いさせていただく長谷園さんの土鍋のご紹介です!
伊賀のある作家さんに言われた言葉を思い出します。
「土鍋を何個かもってるんですが、長谷園さんの土鍋は本当違くて、火を止めた後もず~っとグツグツ言ってるんです。」
伊賀の土鍋がどれだけ保温力が優れているのかを表した言葉と思い、長谷園さんに伺ったところ、その秘密が分かりました。
伊賀は昔は琵琶湖の底だったそうで、400万年前に生息していた生物や植物の遺骸が多く含まれる堆積層で「古琵琶湖層」と呼ばれる地層だそうです。
そのため、伊賀焼で使う土には多くの有機物が含まれ高温で焼くことで土の中に小さな空洞ができます。その穴に熱が蓄えられるため、鍋に火をかけた後、温まりには時間がかかりますが、一度熱せられるとずっと温かいままキープされるというとこ。地球と長い時間の贈り物の大切な陶土は、土鍋にとっても適した土なのです。
こちらの土鍋は、2~4人用。家族で囲むお鍋に最適!艶やかで美しい飴色がとっても素敵です。
伊賀土鍋 飴釉(2~4人用)


1~2人用の小さい土鍋は、普段使いにご飯やお味噌汁、おじややおうどんなどさまざまな用途に。ぽってりまあるいフォルムが愛らしいですね。
伊賀土鍋 黒丸(1~2人用)
伊賀土鍋 白丸(1~2人用)
現在、長谷園さんでは約30人の職人さんが日々作陶されています。分業で作業はしてますが、機械化が進んでいるようでも、実は手作業の部分も多くあるため、生産量は限られてしまうとのこと。
伊賀焼の窯元長谷園さんは、伊賀の粗土という貴重な資源を宝物と考え、この粗土の性質を活かせるよう日々作陶されています。火から下ろした後でも、''あれ?消し忘れたかしら?''とつい思ってしまうほどの驚きの蓄熱力。素材の旨みが余すことなくいただけるので、冬だけ使うのはもったいない土鍋です。是非この機会にいかがでしょうか。
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